熊本の山の中に八角形の奇妙なトンネルがあるという噂を聞いて
お盆休みに見に行って来ました。
今年は夏の大遠征にはいかなかったので
人吉花火大会を目的に
ちょっとぱかし南熊本エリアに1泊2日の小遠征。
その途中に立ち寄ってみました噂の「八角トンネル」。
八角トンネルまでの道のり〜熊延鉄道廃線跡を探して〜
熊本市の南東の山間に位置する下益城(しもましき)郡美里町。
そこにある熊延鉄道の廃線跡にそのトンネルは存在します。
このあたりは、個人的にいままであまり縁のないエリアでした。
今回、初めて美里町を訪ねます。
「道の駅 美里」に立ち寄り。
ここに車を停めて「八角トンネル」を探します。
美里っていうと個人的には
「渡辺美里(歌手)」か
「みつみ美里(イラストレーター)」w
どちらも好きかなw
道の駅の直ぐ側を流れる緑川水系津留川。
地図を見ると、道の駅から少し下流に行ったところに、
熊延鉄道の架橋の遺構があるようでした。
ここを降りて歩いていったら見れるかな?と思ったけど
残念ながら途中までしか行けず。見れませんでした。
先日の豪雨で津留川の水がかなり濁っています。
このときは増水した影響で
水も濁ってるし流木とかも多いんだ程度に思ってました。
8月10日からの豪雨で熊本に被害が出たことは聞いてましたが、
豪雨て大変な被害が出たエリアがここだったことを後から知りました…。
どおりで川の水も濁ってるし、道路が泥だらけなはずです。
国道も工事してる場所がたくさんありました。
ちょっと悪いタイミングで行ったのかも知れません。
道の駅から国道に出て、川沿いに歩いて行きます。
竹林の隙間から見えました、熊延鉄道の鉄道遺構「第一津留川橋梁」の橋脚遺構。
もっといい条件で見れないかとあたりを探索します。
川底に降りていけそうな道を見つけたので降りてみます。
「正一位中岳稲荷大明神」とあります。
中岳は阿蘇の中岳のことでしょうか?
朽ち果てかけた稲荷神社の鳥居がちょっと不気味…。
だけど、勇気を振り絞って下っていきます。
道はここで絶たれました。
かつては橋がかかっていたのかな?
どちらにしても向こう岸には渡れそうにありません。
鳥居があったのにもかかわらず、稲荷神社の祠も見当たらず…。
廃神社だったのでしょうか?
それとも増水で流されたとか…。
この川が湾曲してる先に橋脚があるんだけど、ここからは見えませんね。
増水してるので川沿いに歩いて行くこともできませんし、
諦めて引き返します。
二俣橋
橋脚の見えた場所からちょっと歩くと対岸に渡れそうな橋が見えてきました。
歩行者専用橋と車道橋と2本の橋がかかっていて、
写真奥の石橋は「二俣橋」という観光名所みたいでした。
この橋は津留川と釈迦院川(しゃかいんがわ)の合流地点に
それぞれの川にかかる2つの眼鏡橋。
江戸時代、文政12年(1829年)に架けられた古い橋で
美里町の重要文化財。
橋の袂には観光案内所の建物もありました。
「二俣福良渡」と書いてあります。
これは津留川にかかってるほうの名前らしです。
もう一つの橋(釈迦院川に架かってる橋)は「二俣渡」。
この写真には5つの橋が写っています。
写真左に見切れてる橋は車道の橋。中央が「二俣福良渡」
写真右下の橋が「二俣渡」。
その上が国道218号線の新年祢橋。
さらにその奥が(旧)年祢橋(美里町指定文化財)。
…っていうか「二俣渡」のほうの橋は
先日の豪雨の影響でしょうか
崩壊しちゃってます…。
渡れません。
ああ、貴重な文化遺産が…。
それでハートなのか。
ちゃんと観光化されてるのね。
…ていうか入口にちゃんと駐車場あったのか。
今更車に戻っても遠いのでこのまま歩いて行きます。
廃線跡へ
地図に従い、二俣橋を渡って歩いていきます。
5分ほど歩くと、廃線跡っぽい石積が見えてきました。
途中ガードレールが落ちてました。
警戒しつつ進みます。
奥の方に先ほど渡った二俣橋が見えます。
八角トンネル入口。
ここまでは車で来られるようです。
「熊延鉄道遺構」と「八角トンネル」解説看板がありました。
熊延鉄道(ゆうえんてつどう)とは
かつて熊本県熊本市の南熊本駅から宮崎県延岡市までを結ぶことを計画された鉄道路線。
1915年(大正4年に)春竹駅(現在の南熊本駅)から鯰駅までが開業し、
のちに延伸し、下益城郡の旧砥用町(ともちまち)(現:美里町)の砥用駅まで開業してました。
1964年(昭和39年)に廃止。
運営会社の熊延鉄道は現在の熊本バス株式会社の前身であります。
お恥ずかしながら熊延鉄道の存在を今まで僕は知らなかったです。
熊本〜延岡の鉄道計画は
国鉄が宇土から延岡までを計画した「延宇線」
は知ってました。
この「熊延鉄道」はその一部なのかな?ってなんとなく思ってましたが
別物っぽい?
「延宇線」は現在の南阿蘇鉄道(旧高森線)から旧高千穂鉄道(旧高千穂線)
を経由して延岡に至る路線。
高森と高千穂区間の高森トンネルを掘削中、大量の地下水が出て計画は中止になりました。
その「高森トンネル」の跡を整備して作られたのが「高森湧水トンネル公園」です。
ちなみに、高千穂にある「トンネルの駅」の神楽酒造の焼酎貯蔵庫は
高森〜高千穂区間にいくつも掘られて使われることのなかった
廃トンネルのひとつを再利用したものでした。
「熊延鉄道」はその「延宇線」とは別物なんですかね?
調べてみたけどはっきりした答えはわからなかったです。
周辺地図。
先程見た「第一津留川橋梁遺構」のほかにも「第二」「第三」の橋梁遺構が現存してるんですね。
あと「二俣橋」のような石橋も多くあるみたいです。
かつての第一津留川橋梁の写真。
現在は橋脚の部分しか残っていません。
熊延鉄道を走る車両の写真。
ヂハ100形。
ヂハの「ヂ」はどういう意味だろうと思ったけど
ただ単に昔は「ディーゼル」のことを「ヂーゼル」と表記したこともあったので
実質「デハ」と同じ意味なんだね。
ちなみに「ハ」は普通車という意味。
グリーン車は「ロ」になります。
「いろはにほへと」の「いろは」の部分で
現在は等級がグリーン車と普通車の2段階しかないので
「ロ」と「ハ」しか使われていない感じですかね。
八角トンネルの看板。
この先200m。
そんなに距離はないですが、ここからはその姿を見ることはできません。
歩いて行きましょう。
ここから先は徒歩のみ通行可能。
車はもちろん、バイクや自転車も通行止めです。
熊延鉄道の線路跡。
かつてはここに線路が引かれ列車が走ってたと思うとちょっとわくわくしました。
途中、がけ崩れしてました。
気をつけながら進みます。
八角トンネル
少し歩くと見えて来ました!これが八角トンネル!!
みごとなオクタゴン!
(※六角形はヘキサゴンというのに対し八角形はオクタゴンと云う)
すごい存在感!
正確にはトンネルではなく、切通し部分を補強する構造物。
切通し両端の岩が崩れるのを防ぐためのものだそうです。
なぜ穴が八角形なのか?なぜトンネルじゃなく間が空いてるのか?
その理由は現在では解らないそうです。
ミステリー!
不思議な構造物ですね。
なんていうか見てると妙な気分にさせられます。
廃墟感も相まってすこし不気味かも?
おそらく造られて百年くらい経つと思うのですが、ほぼほぼ原型をとどめています。
ここを列車が走っている様子を見たかったですね。
さすがに廃線当時、僕はまだ生まれてなかったですけどw
異世界に続くゲートのようw
なんかこう、美しさというのも感じます。
けっこう岩がごろごろ落ちてます。
先日の豪雨の影響かな?
八角トンネルを抜けた先から見た風景。
眼下には津留川が流れています。
線路跡はまだまだ続くようです。
この先進んで橋脚跡見れるかな?
ちょっと先に案内看板が立ってました。
橋脚まで行けるようです。
あっ、祠を発見!
先程の赤い鳥居はここのものかー。
昔はあの鳥居からここまで歩いてこれたのかも?
中を覗いてみると、
廃神社とかではなく、
ちゃんと祀られてるようでした。
一津留川橋梁橋脚遺構
木々の間から見えてきました第一津留川橋梁橋脚跡!
近くで見ると大きい!!
下に降りていく階段があるので下ってみましょう。
煙突のようにそそり立つ巨大建造物。
縦長のコンクリートによって作られたこの模様、
なんだか長崎県にある「針尾送信所」の無線塔を思い出させますね。
【参考】針尾無線塔紹介記事
コンクリートの対応年数は40年〜60年程度と言われてますが
100年近く経つ今でも特に崩れることなく残ってるというのはすごいです。
当時の日本の建築技術の高さに驚きです。
奥の方にも橋脚が見えますね。
橋脚は見える範囲で4本ありました。
こんなに立派な橋脚が使われず朽ち果てていくのは
ちょっともったいないですね。
見上げればその大きさに圧倒されます。

高さ約20m。
ぜひ八角トンネルとセットで見てみてください。
僕は道の駅から歩いたのでかなりの距離がありましたが、
入口の駐車場からだと10分も歩かなかったと思います。
入口の駐車場に戻ってきました
線路はこの先道沿いに続いたのでしょうかね?
他の橋の橋脚見たいし、またそのうち廃線巡りとして歩いてみたいですね。
中央に見える道のようなものが熊延鉄道の廃線跡ですね。
以上です。
「八角トンネル」と「第一津留川橋梁橋脚」の遺構、
観光用に整備されてるので比較的簡単に見に行けると思います。
廃線跡と、なんとも不思議なトンネルと橋脚跡の巨大な柱、
廃線跡好き、遺構とか好きな方なら一見の価値はあると思います。
(おわり)


















































コメント
コメント一覧 (4)
10月から2月くらいで時間も合わす必要あります。
この辺りは、過去あまり縁のある地域では無かったのですが、熊延鉄道の後継バス会社の路線沿線
育ちなので。全く縁が無いわけではないと。
自分も生まれたときは熊延鉄道は廃止されていましたが、大物の遺構は残っていました。
母は熊延鉄道の乗車経験ありのようです。(通学で使っていたのかな¥9
夕凪雄那
が
しました
10月以降、ハートの出る時期に時間帯調べて
もう一度行ってみようと思います。
はるか昔に廃線になった鉄道会社が
バス会社として今でも存続してるとは感慨深いです。
僕達の親の世代は知ってる人、乗車した人いる感じなのですね。
廃線というと1980年代(国鉄再建法が成立)な印象だったんですが、
1960年代に、もう廃線になってる路線もあるんですね。
最近知った路線では尾道鉄道も熊延鉄道と同年(1964年)に廃線になってました。
夕凪雄那
が
しました
ので、早めに鉄道に見切りをつけたらしいです。
今残っていれば、熊本市寄りの利用者は増えていたと思いますが、末端は苦しそうです。
また、利用者増えたら、増発のため追加投資必要でしょうから厳しいでしょうね。
なお、熊本県がまとめた資料、ガイドブック作って、pdfで公開しています。
熊延鉄道 熊本県ホームページ
で検索してみて下さい。
夕凪雄那
が
しました
延岡まで開通しても、それほど需要のある路線になったとは思えませんが、
そうなったところを見てみたかった気も済ますね^^;
熊本県の熊延鉄道のページ見てみました。
もっと軽便鉄道的な簡素な感じの鉄道の印象だったんですが、
そこそこちゃんとした鉄道路線だったんですね。
夕凪雄那
が
しました