7月16日、17日に行った倉吉のひなビタ♪地巡礼の模様をお届けします。今回は特に新しいものは無いのですが、いつもの巡礼コースを散策して撮った写真をあげておきたいと思います。長いので前後編に別けます。
今回は中国道〜松江道を夜通し走り松江米子経由で倉吉入りしました。到着は朝の10時頃。いつもは正午ごろ着くのですが今回は早めに到着できました。。今回は明治町観光駐車場に車を停めました。
倉吉鉄道記念館のC11。
「おうおう、また来なさったか」と言ってるようw
めうちゃーん!
今回は入口のところに居ました。けっこう毎回移動してるね。
展示車両の貨車移動機1020型。
8月5日、6日に開催される打吹まつりのポスター。夕凪さんはお休みが無くていけませんのだ!(TдT)
ポスターにはめうちゃん。ちなみに8月5日(ハンコの日)はめうちゃんの誕生日めう!
「まんばや」さんの心菜ちゃん。
そして「小林薬局」さんの夏陽ちゃん。
福神館の咲子ちゃんは少し窮屈そうでした。
玉川。
ひなビタの観光看板。今回は全部巡りました。そのときの模様は別記事で上げています。
大岳院の倉吉絣まり花ちゃん。
白壁倶楽部。明治41年建築の旧国立第三銀行倉吉支店の建物です。震災のときはかなり被害を受けてるようでしたが、すっかり元通りですね。
倉吉アートミュージアム「無心」。今回初めて中に入ってみました。
元帥酒造さんのまり花ちゃん。初めて倉吉で出会ったのが彼女でした。今回は残念ながら纏さんのお酒は置いてなかったようです。ある時に確保しておかないと、売り切れてること多いですなあ。
クラカフェの咲子ちゃん。
天女伝説の壁絵。
白壁土蔵。
赤瓦一号館。
ひなビタ×倉吉、あのイラストの場所。
倉吉陣屋跡の解説看板。そうそう、一国一城令で打吹城が廃城になって陣屋が置かれたのでしたな。
羽衣池。この池には過去の嫌な思い出を消す力があるらしいです。観光案内所などで売ってる「ほどき紙」という紙に忘れたい、断ち切りたい過去の思いと、これから結びたい願い事を書いて池に浮かべると、紙とともに過去も水に溶けて、思いを昇華させてくれるんだそうです。忘れたい思い出とかたくさんあるので、今度やってみないとね。
あいかわらず見事なおっぱいです。飛龍閣の咲子ちゃん。あまり人の来ない静かな場所なので、ここは好きです。
飛龍閣の玄関と庭。
由緒ある建物です。
今回、打吹公園の奥の方まで行ってみました。奥にはひっそりと神社が佇んでました。鎮霊神社(しずみたまじんじゃ)。護国神社的な雰囲気の神社でした。解説看板によりますと「戊辰戦争以来、日清、日露、大東亜戦争などの戦没者、自衛官殉職者を含め国に命を捧げた英霊をご慰霊する神社」だということです。
境内。大きくて立派な拝殿がありました。あまり人が来てなさそうな感じですが。
凱旋記念灯籠。
拝殿。立派な建物なのに寂れた感じがするのが残念ですね。ネットにもあまり詳しい情報がない感じです。
弁天参道。
たかたさん家の5人パネル。今の季節にピッタリですね。
「花はあんどう」さんの咲子ちゃん。
よく見ると足元に桜ミクさんが!今まで無かったよね?
豊田家住宅前の石造りの道標。
豊田家住宅。
豊田家住宅のりんりん先生。
「たまゆら」という言葉にいつも反応してしまうw
あ、「きみわた」だ!
ありがたい、ありがたい。
倉吉淀屋。今回初めて中の人にガイドをしてもらいました。
大阪の淀屋は超金持ちだったようです。自分の店に客が来やすいように自腹で作ったのが大阪の淀屋橋。ガラス天井を作ってそこに金魚を泳がせていたという伝説も残ってます。世界初の先物取引をやったと言われるのもこの淀屋。そして幕府や大名にめちゃくちゃ金を貸していたとのこと。
あまりにも驕奢な生活が町人の分を超えているとして、5代目辰五郎の時に闕所(けっしょ)(財産を没収されること)、所払(追放刑)に処され、大阪の淀屋はお取り潰しになりました。まあ、歴史でよくある権力者が商人から返せない額の借金をして、難癖つけて商人を処罰して借金を有耶無耶にする手法ですな。
闕所処分を予感していた4代目重當は番頭の牧田仁右衛門に暖簾分けさせてました。その彼が、本家の淀屋がお取り潰しになった後に倉吉で商売を始めたのがこの倉吉淀屋だということです。
倉吉淀屋は8代続きますが、幕末に忽然と姿を消したとのことです。一説には闕所処分の恨みから、倒幕運動に私財を費やしたのではないかという話もありますが、真相は定かではないそうです。
伝統的日本家屋は落ち着きますね。ここが倉吉淀屋の建物だというのは最近分かったそうで、以前は壁で仕切られ、長屋として使われていた時期もあったようで、最近まで民家だったそうです。
番頭さんが座る場帳。時代劇などで見ますよね。
土間にはたくさんの大きな笹飾りがありました。
カニ!よく出来てます。
2階に上がれたのですね。ここは丁稚などの奉公人が寝泊まりしていたらしいです。
2階の窓。
軒先。
綿の木。
そして我らがイブ様。倉吉のひなビタパネルは花で飾られてる事多い気がします。素敵ですね。
高い天井と笹飾り。
長くなってしまったので前編はここまで。続きは後編にて。
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倉吉鉄道記念館のC11。
「おうおう、また来なさったか」と言ってるようw
めうちゃーん!
今回は入口のところに居ました。けっこう毎回移動してるね。
展示車両の貨車移動機1020型。
8月5日、6日に開催される打吹まつりのポスター。夕凪さんはお休みが無くていけませんのだ!(TдT)
ポスターにはめうちゃん。ちなみに8月5日(ハンコの日)はめうちゃんの誕生日めう!
「まんばや」さんの心菜ちゃん。
そして「小林薬局」さんの夏陽ちゃん。
福神館の咲子ちゃんは少し窮屈そうでした。
玉川。
ひなビタの観光看板。今回は全部巡りました。そのときの模様は別記事で上げています。
大岳院の倉吉絣まり花ちゃん。
白壁倶楽部。明治41年建築の旧国立第三銀行倉吉支店の建物です。震災のときはかなり被害を受けてるようでしたが、すっかり元通りですね。
倉吉アートミュージアム「無心」。今回初めて中に入ってみました。
元帥酒造さんのまり花ちゃん。初めて倉吉で出会ったのが彼女でした。今回は残念ながら纏さんのお酒は置いてなかったようです。ある時に確保しておかないと、売り切れてること多いですなあ。
クラカフェの咲子ちゃん。
天女伝説の壁絵。
白壁土蔵。
赤瓦一号館。
ひなビタ×倉吉、あのイラストの場所。
倉吉陣屋跡の解説看板。そうそう、一国一城令で打吹城が廃城になって陣屋が置かれたのでしたな。
羽衣池。この池には過去の嫌な思い出を消す力があるらしいです。観光案内所などで売ってる「ほどき紙」という紙に忘れたい、断ち切りたい過去の思いと、これから結びたい願い事を書いて池に浮かべると、紙とともに過去も水に溶けて、思いを昇華させてくれるんだそうです。忘れたい思い出とかたくさんあるので、今度やってみないとね。
あいかわらず見事なおっぱいです。飛龍閣の咲子ちゃん。あまり人の来ない静かな場所なので、ここは好きです。
飛龍閣の玄関と庭。
由緒ある建物です。
今回、打吹公園の奥の方まで行ってみました。奥にはひっそりと神社が佇んでました。鎮霊神社(しずみたまじんじゃ)。護国神社的な雰囲気の神社でした。解説看板によりますと「戊辰戦争以来、日清、日露、大東亜戦争などの戦没者、自衛官殉職者を含め国に命を捧げた英霊をご慰霊する神社」だということです。
境内。大きくて立派な拝殿がありました。あまり人が来てなさそうな感じですが。
凱旋記念灯籠。
拝殿。立派な建物なのに寂れた感じがするのが残念ですね。ネットにもあまり詳しい情報がない感じです。
弁天参道。
たかたさん家の5人パネル。今の季節にピッタリですね。
「花はあんどう」さんの咲子ちゃん。
よく見ると足元に桜ミクさんが!今まで無かったよね?
豊田家住宅前の石造りの道標。
豊田家住宅。
豊田家住宅のりんりん先生。
「たまゆら」という言葉にいつも反応してしまうw
あ、「きみわた」だ!
ありがたい、ありがたい。
倉吉淀屋。今回初めて中の人にガイドをしてもらいました。
大阪の淀屋は超金持ちだったようです。自分の店に客が来やすいように自腹で作ったのが大阪の淀屋橋。ガラス天井を作ってそこに金魚を泳がせていたという伝説も残ってます。世界初の先物取引をやったと言われるのもこの淀屋。そして幕府や大名にめちゃくちゃ金を貸していたとのこと。
あまりにも驕奢な生活が町人の分を超えているとして、5代目辰五郎の時に闕所(けっしょ)(財産を没収されること)、所払(追放刑)に処され、大阪の淀屋はお取り潰しになりました。まあ、歴史でよくある権力者が商人から返せない額の借金をして、難癖つけて商人を処罰して借金を有耶無耶にする手法ですな。
闕所処分を予感していた4代目重當は番頭の牧田仁右衛門に暖簾分けさせてました。その彼が、本家の淀屋がお取り潰しになった後に倉吉で商売を始めたのがこの倉吉淀屋だということです。
倉吉淀屋は8代続きますが、幕末に忽然と姿を消したとのことです。一説には闕所処分の恨みから、倒幕運動に私財を費やしたのではないかという話もありますが、真相は定かではないそうです。
伝統的日本家屋は落ち着きますね。ここが倉吉淀屋の建物だというのは最近分かったそうで、以前は壁で仕切られ、長屋として使われていた時期もあったようで、最近まで民家だったそうです。
番頭さんが座る場帳。時代劇などで見ますよね。
土間にはたくさんの大きな笹飾りがありました。
カニ!よく出来てます。
2階に上がれたのですね。ここは丁稚などの奉公人が寝泊まりしていたらしいです。
2階の窓。
軒先。
綿の木。
そして我らがイブ様。倉吉のひなビタパネルは花で飾られてる事多い気がします。素敵ですね。
高い天井と笹飾り。
長くなってしまったので前編はここまで。続きは後編にて。
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