若松の軍艦防波堤の記事がアクセスが多いので、2回目に軍艦防波堤を訪れた時の写真を掲載します。
2回目にここを訪れたのは一昨年の冬、2015年2月1日にフォロワーの元住吉の伊藤さんと訪れました。夕方だったため、すこし色合いが赤いですが、1回目より良い写真、調査(のようなもの)ができたと思います。やはり一人では気が付かない事も多いですなー。

前回訪れたのが前年の11月24日だったので約2ヶ月ぶりの軍艦防波堤でした。軍艦防波堤として唯一地上に姿を現している駆逐艦「柳」です。


解説看板。駆逐艦「柳」、「涼月」、「冬月」がこのコンクリートの下で眠っています。


軍艦防波堤の案内看板。上のものより古い看板だと思われます。

船首部分の写真。

この「柳」は、初代の「柳」(桃型駆逐艦)で、太平洋戦争時の松型駆逐艦「柳」の先代になります。桃型は2等駆逐艦で、時代も古いことから、全長7.75m、排水量755トンと意外と小さいです。戦歴を見ると、第一次世界大戦のおり、第二特務艦隊として地中海マルタ島まで派遣されています。遠洋航海するには心許ない大きさかも?と思ってしまいます。
大正6年に佐世保海軍工廠で竣工し、昭和15年に除籍。その後は海兵団の練習艦として使われ、終戦後、解体され、船体はここ若松に軍艦防波堤となりました。





船首部分は綺麗に形が残ってますね。



「柳」の向こうは洞海湾。若戸大橋も見えます。


主砲の台座の跡…でしょうか?

マストを支えた穴…かな?よく見るとなにかの構造物がところどころ見つかりますね。

昭和の文字が…。

船尾方向。



船尾部分は削られてたのか下がってますね。

剥がれ落ちた側面部分。少しずつ風化していってるようです…。

側面もコンクリートからサビが流れ出しています。


船体のリベット止めの跡が見られました。

「柳」前には駆逐艦「涼月」が埋まっています。「涼月」全長132m。おそらく奥のフェンスのさらに奥までになると思います。完全に埋没してるのでその姿は見れませんが。

コンクリートの上を見ると、錆びた金属がところどころ顔を覗かせています。涼月の一部でしょうか?

フェンスの奥。アスファルトのひび割れが涼月の位置を現してる…のかもしれません。その向こうには駆逐艦「冬月」が眠っています。超大型防空駆逐艦である秋月型の2隻、海軍最後の作戦、大和を護衛して天一号作戦に作戦に参加し坊ノ岬沖海戦を生き残った功労艦。その姿を見たかったですね。

軍艦防波堤から見た洞海湾。「冬月」「涼月」「柳」は軍艦防波堤としての役目も終えました。

軍艦防波堤は海釣りのスポットとしても有名らしく、この日も多くの釣り客が居ました。工業団地の外れにある割に訪れる人も多いので、眠る駆逐艦たちも寂しくないですね。
若松の軍艦防波堤、また機会があれば訪れたいですね。
■追記(2017.05.24)
先日、呉の「大和ミュージアム」でミニ企画展「大和特攻から帰還した船」を見てきました。その展示の中に「冬月」と「涼月」の写真があったので掲載しておきます。

「涼月」の写真。看板のものと同じですね。撮影されたのは昭和22年、戦後だったのですね。よく見ると艦首がへしゃげていますね。

「冬月」。こちらも看板の写真と同じ。

「冬月」と「雪風」が写ってる写真。この2枚は見たことあったけど、写ってる駆逐艦が「冬月」「雪風」であったのは知らなかったです。

防波堤になった時の写真。沈設当初は船首楼の中にも入れて観光名所になっていたそうな。
(関連記事)
【艦これ聖地巡礼】若松の軍艦防波堤
2回目にここを訪れたのは一昨年の冬、2015年2月1日にフォロワーの元住吉の伊藤さんと訪れました。夕方だったため、すこし色合いが赤いですが、1回目より良い写真、調査(のようなもの)ができたと思います。やはり一人では気が付かない事も多いですなー。

前回訪れたのが前年の11月24日だったので約2ヶ月ぶりの軍艦防波堤でした。軍艦防波堤として唯一地上に姿を現している駆逐艦「柳」です。


解説看板。駆逐艦「柳」、「涼月」、「冬月」がこのコンクリートの下で眠っています。


軍艦防波堤の案内看板。上のものより古い看板だと思われます。

船首部分の写真。

この「柳」は、初代の「柳」(桃型駆逐艦)で、太平洋戦争時の松型駆逐艦「柳」の先代になります。桃型は2等駆逐艦で、時代も古いことから、全長7.75m、排水量755トンと意外と小さいです。戦歴を見ると、第一次世界大戦のおり、第二特務艦隊として地中海マルタ島まで派遣されています。遠洋航海するには心許ない大きさかも?と思ってしまいます。
大正6年に佐世保海軍工廠で竣工し、昭和15年に除籍。その後は海兵団の練習艦として使われ、終戦後、解体され、船体はここ若松に軍艦防波堤となりました。





船首部分は綺麗に形が残ってますね。



「柳」の向こうは洞海湾。若戸大橋も見えます。


主砲の台座の跡…でしょうか?

マストを支えた穴…かな?よく見るとなにかの構造物がところどころ見つかりますね。

昭和の文字が…。

船尾方向。



船尾部分は削られてたのか下がってますね。

剥がれ落ちた側面部分。少しずつ風化していってるようです…。

側面もコンクリートからサビが流れ出しています。


船体のリベット止めの跡が見られました。

「柳」前には駆逐艦「涼月」が埋まっています。「涼月」全長132m。おそらく奥のフェンスのさらに奥までになると思います。完全に埋没してるのでその姿は見れませんが。

コンクリートの上を見ると、錆びた金属がところどころ顔を覗かせています。涼月の一部でしょうか?

フェンスの奥。アスファルトのひび割れが涼月の位置を現してる…のかもしれません。その向こうには駆逐艦「冬月」が眠っています。超大型防空駆逐艦である秋月型の2隻、海軍最後の作戦、大和を護衛して天一号作戦に作戦に参加し坊ノ岬沖海戦を生き残った功労艦。その姿を見たかったですね。

軍艦防波堤から見た洞海湾。「冬月」「涼月」「柳」は軍艦防波堤としての役目も終えました。

軍艦防波堤は海釣りのスポットとしても有名らしく、この日も多くの釣り客が居ました。工業団地の外れにある割に訪れる人も多いので、眠る駆逐艦たちも寂しくないですね。
若松の軍艦防波堤、また機会があれば訪れたいですね。
■追記(2017.05.24)
先日、呉の「大和ミュージアム」でミニ企画展「大和特攻から帰還した船」を見てきました。その展示の中に「冬月」と「涼月」の写真があったので掲載しておきます。

「涼月」の写真。看板のものと同じですね。撮影されたのは昭和22年、戦後だったのですね。よく見ると艦首がへしゃげていますね。

「冬月」。こちらも看板の写真と同じ。

「冬月」と「雪風」が写ってる写真。この2枚は見たことあったけど、写ってる駆逐艦が「冬月」「雪風」であったのは知らなかったです。

防波堤になった時の写真。沈設当初は船首楼の中にも入れて観光名所になっていたそうな。
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