また先週末も青春18きっぷで呉に行ってた夕凪さんですが、早速2枚目の絵馬を呉の亀山神社に奉納してきましたよ。今回はその模様をお送りします。

2枚目の絵馬は赤城さんです。やはり呉と艦娘を題材にした絵にしたかったので、赤城と旧鎮守府庁舎(呉地方総
監部)を描いてみました。そしてタイトルを「大和のふるさと」に捩って「赤城のふるさと」にしました。1枚目の絵馬よりよく描けたと思っております。
基本的に絵馬とは願い事を書かなければいけないと思ってましたが、必ずしもそうではないようなので、今回は特に願い事は書きませんでした。しかし、ベタとか塗ってて思ったのですが、木材だとインクが乗りにくいですね。
ネタ的には以前、地方総監部に見学に行った時に、ガイドをされていた自衛官の方が「呉は大和がやたらと有名だけど、呉生まれならば、大和より赤城のほうがよっぽど偉い」って力説なさっていたことが、この絵の発想となりました。戦艦としては大和よりアメリカのアイオワ級とかのほうがよほど凄いっておっしゃってました。意外と地元の人は大和を評価してないっていうことがあったりなかったり…。他でも大和なんかより…って話を聞いた覚えがあります。
そんな訳で、呉といえば大和が建造された場所としてあまりに有名ですが、赤城さんの生まれ故郷も呉なのです。赤城さんは大正20年(1920年)に呉海軍工廠で起工しました。最初は空母ではなく巡洋戦艦として建造されました。
基本的に鳥や龍の名前がつく日本海軍の空母なのですが、「赤城」という山の名前がついたのは山の名前のつく巡洋戦艦(一等巡洋艦)として計画されたからですね。ちなみに「加賀」のほうは元々戦艦としての設計だったので旧国名がついています。金剛姉妹が戦艦なのに山の名前がついてるのは元々巡洋戦艦として作られたからです。
ワシントン軍縮条約で主力艦の保有数が制限されたことから一旦は建造が中止されましたが、制限を回避するために空母に改装することになりました。
そして大正15年(1925年)に進水、昭和2年(1927年)に竣工しました。所属は横須賀でしたが、生まれは呉だったのですね。竣工当時は例の三段甲板の空母でした。全通甲板への改装は佐世保工廠のほうで行われたようです。

9月最初の日曜日の朝、呉は雨。夏の青春18きっぷの最終戦、呉旅行の2日目です。この日は朝一で呉湾クルーズに乗る予定でしたが、こんな天気なのでいい写真とか撮れそうになかったのと、桟橋にいる艦艇が先週とほぼ同じようだったので、止めました。そんな訳でホテルをチェックアウトしてすぐに亀山神社に向かいます。

亀山神社の鳥居。亀山神社は市街地中心部から少し東、坂を上った先にあります。駅からだと15分ほど歩きます。

一週間後にまた絵馬を描いて来ることになるとは思っていませんでした。ほんとうはこの日は関西の方に行く予定になっていたので。

亀山神社の手水舎。神社に参拝にいくときは必ず手と口を清めてから行きましょう。手水舎もよく見てみると神社によっていろいろな形があって面白いです。

参道からご拝殿へ。雨が振ってるせいか、参拝者は少なめでした。

まずは参拝します。絵馬奉納のご報告と旅の安全を祈りました。

前回奉納した絵馬の下に結び付けます。

前回の絵馬もちゃんとありました。雨でインクが流れたりしてないか心配でしたが、大丈夫だったです。

隣の伊藤さんの絵馬。前回僕が奉納した次の日に掛けられた新作絵馬がいちばん下にありました。呉の海自カレーシールラリー、「あぶくまカレー」を担当していたお店が閉店しちゃったことを絵にされてますね。僕もあぶくまカレー食べれてないや…。

下のこの部分が何となく萌え絵馬の区画になってしまってますね。絵馬はしばらくすると(正月くらいに?)お焚き上げされてしまうので、見に行かれる方はお早めに。
この後、授与所で神主さんに挨拶して、なんだかんだで3枚目の絵馬を授与して頂きました。また次に呉に来る理由ができてしまいましたね。まあ今のところ呉に行く予定はないですけど、年内にもう一度行けたらいいな。
(関連記事)
初めての絵馬〜呉・亀山神社に利根の絵馬奉納〜
呉の伊勢さん入渠中〜呉散策〜

2枚目の絵馬は赤城さんです。やはり呉と艦娘を題材にした絵にしたかったので、赤城と旧鎮守府庁舎(呉地方総
監部)を描いてみました。そしてタイトルを「大和のふるさと」に捩って「赤城のふるさと」にしました。1枚目の絵馬よりよく描けたと思っております。
基本的に絵馬とは願い事を書かなければいけないと思ってましたが、必ずしもそうではないようなので、今回は特に願い事は書きませんでした。しかし、ベタとか塗ってて思ったのですが、木材だとインクが乗りにくいですね。
ネタ的には以前、地方総監部に見学に行った時に、ガイドをされていた自衛官の方が「呉は大和がやたらと有名だけど、呉生まれならば、大和より赤城のほうがよっぽど偉い」って力説なさっていたことが、この絵の発想となりました。戦艦としては大和よりアメリカのアイオワ級とかのほうがよほど凄いっておっしゃってました。意外と地元の人は大和を評価してないっていうことがあったりなかったり…。他でも大和なんかより…って話を聞いた覚えがあります。
そんな訳で、呉といえば大和が建造された場所としてあまりに有名ですが、赤城さんの生まれ故郷も呉なのです。赤城さんは大正20年(1920年)に呉海軍工廠で起工しました。最初は空母ではなく巡洋戦艦として建造されました。
基本的に鳥や龍の名前がつく日本海軍の空母なのですが、「赤城」という山の名前がついたのは山の名前のつく巡洋戦艦(一等巡洋艦)として計画されたからですね。ちなみに「加賀」のほうは元々戦艦としての設計だったので旧国名がついています。金剛姉妹が戦艦なのに山の名前がついてるのは元々巡洋戦艦として作られたからです。
ワシントン軍縮条約で主力艦の保有数が制限されたことから一旦は建造が中止されましたが、制限を回避するために空母に改装することになりました。
そして大正15年(1925年)に進水、昭和2年(1927年)に竣工しました。所属は横須賀でしたが、生まれは呉だったのですね。竣工当時は例の三段甲板の空母でした。全通甲板への改装は佐世保工廠のほうで行われたようです。

9月最初の日曜日の朝、呉は雨。夏の青春18きっぷの最終戦、呉旅行の2日目です。この日は朝一で呉湾クルーズに乗る予定でしたが、こんな天気なのでいい写真とか撮れそうになかったのと、桟橋にいる艦艇が先週とほぼ同じようだったので、止めました。そんな訳でホテルをチェックアウトしてすぐに亀山神社に向かいます。

亀山神社の鳥居。亀山神社は市街地中心部から少し東、坂を上った先にあります。駅からだと15分ほど歩きます。

一週間後にまた絵馬を描いて来ることになるとは思っていませんでした。ほんとうはこの日は関西の方に行く予定になっていたので。

亀山神社の手水舎。神社に参拝にいくときは必ず手と口を清めてから行きましょう。手水舎もよく見てみると神社によっていろいろな形があって面白いです。

参道からご拝殿へ。雨が振ってるせいか、参拝者は少なめでした。

まずは参拝します。絵馬奉納のご報告と旅の安全を祈りました。

前回奉納した絵馬の下に結び付けます。

前回の絵馬もちゃんとありました。雨でインクが流れたりしてないか心配でしたが、大丈夫だったです。

隣の伊藤さんの絵馬。前回僕が奉納した次の日に掛けられた新作絵馬がいちばん下にありました。呉の海自カレーシールラリー、「あぶくまカレー」を担当していたお店が閉店しちゃったことを絵にされてますね。僕もあぶくまカレー食べれてないや…。

下のこの部分が何となく萌え絵馬の区画になってしまってますね。絵馬はしばらくすると(正月くらいに?)お焚き上げされてしまうので、見に行かれる方はお早めに。
この後、授与所で神主さんに挨拶して、なんだかんだで3枚目の絵馬を授与して頂きました。また次に呉に来る理由ができてしまいましたね。まあ今のところ呉に行く予定はないですけど、年内にもう一度行けたらいいな。
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