■「触っただろう」と詰め寄る女子高生…痴漢“冤罪”訴え、「息子はやってない」と父ら目撃者探し
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/937693.html
最近社会問題になっている痴漢冤罪。男性なら誰の身にも降りかかる可能性がある、恐ろしい不幸だ。女性が「この人痴漢です!」と言うだけで、勘違いであろうが、女性の虚言であろうが、相手の男性を不幸のどん底に陥れる事が出来る。
男性側の言い分はほとんど通用しないと言って良い。その人がいくら女性に興味がなかろうと、男色趣味だろうと、被害者(と言っている)の女性の容姿がマズかろうと、まったく関係ない。冤罪対策の為、両手を塞いで乗っていようと、両手でつり革をつかんでいようと、それがアリバイにはならないそうだ。
被害者の一方的な訴えで、「やったという証拠」もなく犯人にできる。これほど恐ろしい事はないのではないのか? 無罪を訴えるなら「やっていない証拠」を提示しなくてはいけないというのは酷いのではないのか。
女性側の意見が一方的に聞き入れられ、男性側の意見は徹底的に却下される。むちゃくちゃだ。
世の中、憂さ晴らしに、他人を不幸に陥れる事を平気でする人間も多い。女性自身、または男性が女性を使って、恨みのある男性やライバル関係にある男性の社会的地位を貶める事も簡単になる。
さらには男性なら冤罪に遭っても仕方がないという。参照元の記事でも、
>恨むのなら、痴漢行為をする男を恨め。
>痴漢がなくならない限り、痴漢の冤罪もなくならない。
という意見が出ている。
でも、ちょっと待ってほしい。その意見はあまりに乱暴過ぎるのではないのか?
男性である事だけで、犯人に仕立て上げられても仕方がないという意見はあまりにおかしいのではないのだろうか。
これが通用するなら、痴漢の被害を訴える女性に対して、憂さ晴らしにやってない男性を痴漢にでっちあげた冤罪事件を取り上げて、女性は男性を痴漢にでっちあげるから、あなたの言ってることを信用されなくても仕方がないんですよとなぜ言われないのか?
男性であることのみが、痴漢の犯人である理由なら、女性であることのみが、痴漢冤罪の犯人になるという考えも通用するのではないのか?
もっと解りやすく言おうか。世の中には痴漢の逆の痴女という人もいる。痴漢されてよろこんだり、逆に男性に痴漢する女性の事だ。そういう存在をとりあえげて、女性なら痴女もいるんだから、痴女に間違われても仕方がないという理屈が通用してしまうではないか。
しかし、そういう理屈はなぜか通用しない。なぜ男性側だけが、そういう理屈で冤罪を正当化されねばならないのか。
痴漢は悪いことだ。だけれども、それは痴漢した人間が悪いことであって、男性であることが悪いことではない。「男性=痴漢犯罪者または痴漢犯罪者予備軍」という考え方がどんなにめちゃくちゃな理屈か、世の一般の男性にとってどんなに失礼な事を言っているのか、解ってもらいたい。逆の立場なら、女性は絶対文句いうハズだ。
何でも男性、女性の区分でしか考えられないのがおかしい。性差廃絶が叫ばれている世の中で、なぜこういう事に関しては男性というひとくくりでしか見られないのか。どうして人間ひとりひとりという見方ができないのか。
女性も、女性であるだけで、犯人にしたてあげられたら、どう思うのか?女性だから、冤罪を問われても仕方がないと言われて納得するか?
別の問題に置き換えてみよう。たとえば最近は外国人による犯罪が増加している。だから外国人である以上、犯罪者と言われても仕方がないという理屈が通るだろうか。外国人であるだけでロクに調査もされずに逮捕されるなんて事が許されるだろうか。「外国人犯罪が多いんだから仕方がない」と言われて納得できるだろうか。
たとえばある国で日本人が犯罪をよく犯しているとしよう。その国に行けば、その国の人間の一方的な訴えで犯罪者に仕立て上げられ、逮捕される。証拠は被害者の証言だけ。そして「あんたは日本人だから犯人にしたてられても仕方がないんだよ」と言われ、納得しろと言われる。理不尽でしょ?それと一緒。
男性というカテゴリにいるだけで、その個人がいくらモラルの高い人間であろうと、いくら立派な人間であろうと、犯罪者に仕立て上げられて、それを仕方がないと言われる。とうてい納得できるものではない。
そのくらい一方的で非道いものが痴漢冤罪というものだ。世の中の男性諸氏がこの手のニュースに戦慄を覚えるのも仕方有るまい。一層のこと男性専用車両も導入してほしいという意見が出るのもうなずける。
ある日突然、その場に居合わせたという理由だけで、自分の社会的地位が貶められる可能性があるというのは恐ろしい。女性の勘違いや悪意で、それまで築き上げてきたものが一気に崩壊するのだ。それがどれだけ恐ろしい物なのか解って欲しい。
犯罪というのは個人が犯すもの。痴漢は確かに憎むべき犯罪だ。だが、その犯罪の責任を男性全体に押しつけるのはどうかと思う。男性の立場から見ても痴漢は憎むべき対象ではあるが、だからといって、痴漢がいるのは男性が存在しているせい。男性である以上、痴漢の罪は男の罪と言われるのはあまりに乱暴すぎる。
痴漢は社会全体の問題であって、男性一個人がそれに対してどうする事もできないし、そうする力もない。痴漢が居るのは男性のせい、だから男性であるあんた個人の責任でもあると言う理屈はあんまりなのではと。
痴漢は犯人個人の資質の問題であって、男性全体の問題ではない。男性であることが犯罪者になり得るのなら、あらゆる犯罪が人間である事のみで犯罪者になり得るという事にも繋がる。こんなめちゃくちゃな理論で痴漢冤罪の問題を正当化しないで欲しい。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/937693.html
最近社会問題になっている痴漢冤罪。男性なら誰の身にも降りかかる可能性がある、恐ろしい不幸だ。女性が「この人痴漢です!」と言うだけで、勘違いであろうが、女性の虚言であろうが、相手の男性を不幸のどん底に陥れる事が出来る。
男性側の言い分はほとんど通用しないと言って良い。その人がいくら女性に興味がなかろうと、男色趣味だろうと、被害者(と言っている)の女性の容姿がマズかろうと、まったく関係ない。冤罪対策の為、両手を塞いで乗っていようと、両手でつり革をつかんでいようと、それがアリバイにはならないそうだ。
被害者の一方的な訴えで、「やったという証拠」もなく犯人にできる。これほど恐ろしい事はないのではないのか? 無罪を訴えるなら「やっていない証拠」を提示しなくてはいけないというのは酷いのではないのか。
女性側の意見が一方的に聞き入れられ、男性側の意見は徹底的に却下される。むちゃくちゃだ。
世の中、憂さ晴らしに、他人を不幸に陥れる事を平気でする人間も多い。女性自身、または男性が女性を使って、恨みのある男性やライバル関係にある男性の社会的地位を貶める事も簡単になる。
さらには男性なら冤罪に遭っても仕方がないという。参照元の記事でも、
>恨むのなら、痴漢行為をする男を恨め。
>痴漢がなくならない限り、痴漢の冤罪もなくならない。
という意見が出ている。
でも、ちょっと待ってほしい。その意見はあまりに乱暴過ぎるのではないのか?
男性である事だけで、犯人に仕立て上げられても仕方がないという意見はあまりにおかしいのではないのだろうか。
これが通用するなら、痴漢の被害を訴える女性に対して、憂さ晴らしにやってない男性を痴漢にでっちあげた冤罪事件を取り上げて、女性は男性を痴漢にでっちあげるから、あなたの言ってることを信用されなくても仕方がないんですよとなぜ言われないのか?
男性であることのみが、痴漢の犯人である理由なら、女性であることのみが、痴漢冤罪の犯人になるという考えも通用するのではないのか?
もっと解りやすく言おうか。世の中には痴漢の逆の痴女という人もいる。痴漢されてよろこんだり、逆に男性に痴漢する女性の事だ。そういう存在をとりあえげて、女性なら痴女もいるんだから、痴女に間違われても仕方がないという理屈が通用してしまうではないか。
しかし、そういう理屈はなぜか通用しない。なぜ男性側だけが、そういう理屈で冤罪を正当化されねばならないのか。
痴漢は悪いことだ。だけれども、それは痴漢した人間が悪いことであって、男性であることが悪いことではない。「男性=痴漢犯罪者または痴漢犯罪者予備軍」という考え方がどんなにめちゃくちゃな理屈か、世の一般の男性にとってどんなに失礼な事を言っているのか、解ってもらいたい。逆の立場なら、女性は絶対文句いうハズだ。
何でも男性、女性の区分でしか考えられないのがおかしい。性差廃絶が叫ばれている世の中で、なぜこういう事に関しては男性というひとくくりでしか見られないのか。どうして人間ひとりひとりという見方ができないのか。
女性も、女性であるだけで、犯人にしたてあげられたら、どう思うのか?女性だから、冤罪を問われても仕方がないと言われて納得するか?
別の問題に置き換えてみよう。たとえば最近は外国人による犯罪が増加している。だから外国人である以上、犯罪者と言われても仕方がないという理屈が通るだろうか。外国人であるだけでロクに調査もされずに逮捕されるなんて事が許されるだろうか。「外国人犯罪が多いんだから仕方がない」と言われて納得できるだろうか。
たとえばある国で日本人が犯罪をよく犯しているとしよう。その国に行けば、その国の人間の一方的な訴えで犯罪者に仕立て上げられ、逮捕される。証拠は被害者の証言だけ。そして「あんたは日本人だから犯人にしたてられても仕方がないんだよ」と言われ、納得しろと言われる。理不尽でしょ?それと一緒。
男性というカテゴリにいるだけで、その個人がいくらモラルの高い人間であろうと、いくら立派な人間であろうと、犯罪者に仕立て上げられて、それを仕方がないと言われる。とうてい納得できるものではない。
そのくらい一方的で非道いものが痴漢冤罪というものだ。世の中の男性諸氏がこの手のニュースに戦慄を覚えるのも仕方有るまい。一層のこと男性専用車両も導入してほしいという意見が出るのもうなずける。
ある日突然、その場に居合わせたという理由だけで、自分の社会的地位が貶められる可能性があるというのは恐ろしい。女性の勘違いや悪意で、それまで築き上げてきたものが一気に崩壊するのだ。それがどれだけ恐ろしい物なのか解って欲しい。
犯罪というのは個人が犯すもの。痴漢は確かに憎むべき犯罪だ。だが、その犯罪の責任を男性全体に押しつけるのはどうかと思う。男性の立場から見ても痴漢は憎むべき対象ではあるが、だからといって、痴漢がいるのは男性が存在しているせい。男性である以上、痴漢の罪は男の罪と言われるのはあまりに乱暴すぎる。
痴漢は社会全体の問題であって、男性一個人がそれに対してどうする事もできないし、そうする力もない。痴漢が居るのは男性のせい、だから男性であるあんた個人の責任でもあると言う理屈はあんまりなのではと。
痴漢は犯人個人の資質の問題であって、男性全体の問題ではない。男性であることが犯罪者になり得るのなら、あらゆる犯罪が人間である事のみで犯罪者になり得るという事にも繋がる。こんなめちゃくちゃな理論で痴漢冤罪の問題を正当化しないで欲しい。
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