2009年12月9日に大刀洗にある大刀洗平和記念館に行ってきました。

この平和記念館は2009年10月3日にできたばかりの新しい記念館です。もともと大刀洗平和記念館は、無人化した太刀洗駅の駅舎を利用して個人の方が運営さていたのです。その向かい側に、新たに筑前町が建てたものがこの新しい資料館らしいです。

私も以前から大刀洗に飛行場があった事は知っていましたし、個人が運営されていた記念館の情報も知っていて、機会があれば見たいとは思っていたんですけど、今回、新たに記念館が建てられたと聞いて行ってみました。


■大刀洗平和記念館の概要


この日は車が午前中しか借りられなかったので、13時半までに帰宅せねばなっりませんでした。なので、8時半ごろから出発して、白坂峠を越えて甘木に出て、9時40分くらいにつきました。場所は国道500号線沿い、キリンビール工場のすぐ近くなのでわかりやすいと思います。鉄道で行く場合も甘木鉄道の大刀洗駅の前なので迷うことはないかと。

正直それほど大きくはないって思っていたんですが、けっこう大きかったです。建って間もないのでさすがに館内は綺麗。平日の朝だけあって、最初、来館者は少なかったですけど、10時過ぎたあたりからそこそこ多くはなってきたですね。

入館料は500円。駐車場は無料です。営業時間は9時〜5時。休館は正月のみだそうです。

大刀洗平和記念館建物

大刀洗平和記念館表札


なんといっても目につくのはゼロ戦ですね。機体は外国から譲り受けた零式艦上戦闘機三二型と博多湾から引き上げられた陸軍の九七式戦闘機(どちらも世界で唯一)の2機が展示されています。写真撮影は零戦のみできるようです。館内は原則撮影禁止で、ちょっと残念でした。以前行った大和ミュージアムも大津島回天記念館も、一部を除いて撮影OKだったのになあ。


■大刀洗飛行場のあった場所


最初に、案内人の人に大刀洗の飛行場の場所の説明を受けました。館内入ってすぐの床に、大きな現在の大刀洗一帯の航空写真があって、そこに飛行場や関連施設の位置が示されてました。

大刀洗には陸軍の拠点飛行場があったらしく、かなり規模の大きなものらしかったです。飛行機の航続距離の短かった時代は大陸などへの重要補給拠点として、とても重要な存在だったとか。

あと海から距離があり、障害物になる山がなく、風の向きが変わらないといった条件にぴったりだったのがここ大刀洗だったらしいです。

大正8年(1919年)10月に完成し、一時期は軍事だけではなく、定期輸送の拠点としても利用されていたらしいです。


地図を見ると、今のキリンビール工場一体が飛行場だったようでした。あと航空隊の教育施設などもあり、大戦中は航空拠点として東洋一とも言われてました。特攻隊で有名な知覧や映画「月光の夏」の佐賀の目達原基地も、ここ大刀洗にあった飛行学校の分校だったらしいです。

また、大戦中、北のほうにも2本の「北滑走路」ができたらしい。以前から私が知っていた滑走路跡の道路は、この北滑走路のことだった事を知りました。大刀洗の本飛行場ではなかったんですね。勘違いしてました。


■大刀洗飛行場と国内航空機の歴史


地図の次の展示は、国内の航空機の歴史や戦前の機体と大刀洗飛行場の歴史の展示です。

大刀洗飛行場の歴史は、日本の飛行機の歴史と深くかかわってるらしく、最初の展示では軍用機を中心に、日本の戦前の飛行機の歴史が展示してありました。飛行場の歴史が多くの模型とともに、解説されていて、珍しいところでは「震電」などの模型も展示してありました。


■零式艦上戦闘機三二型


そしてその先に展示してあるのは零式艦上戦闘機三二型の現存機。三二型はこの1機しかないらしいです。その特徴は翼の端が四角いところ。生産性向上のため、今までの折畳式をやめたためにそうなったらしい。

この機体のみ撮影ができたので、以下ずらりと写真を並べてみます。

ゼロ戦三二型(大刀洗平和記念館)

ゼロ戦三二型 横から

ゼロ戦三二型プロペラ

ゼロ戦三二型と館内

ゼロ戦三二型 全体像

ゼロ戦三二型尾翼

尾翼
ゼロ戦三二型操縦席

操縦席

ゼロ戦三二型計器板(レプリカ)

計器盤(レプリカ)
ゼロ戦エンジン

エンジン

ゼロ戦二三型 四角い翼端

三二型の特徴は翼端が四角いこと。

ゼロ戦六二型(比較用/大和ミュージアム)

六二型(大和ミュージアム展示)と比較してみよう


次は大刀洗飛行場を中心とした、大刀洗の街のあゆみが紹介されてまいた。大刀洗は日本最大規模の陸軍航空基地がある街として栄たらしいです。その街の様子とかが紹介されていました。

この展示は日本最大規模の海軍基地として栄えた呉の町を紹介していた「大和ミュージアム」の展示を思い出しました。おそらく呉のように軍事基地のある街として栄えたのでしょうね。


今は飛行場も無く、当時の面影がほとんどないので、それほどまでに大きな航空拠点がこの場所にあったとはあまり想像できません。呉のように軍港が残っているのなら、イメージしやすいのですが、今では滑走路も基地の後も残っていません。

地元の人でも、大刀洗にそんな大きな基地や飛行場があったことを知らない人が多いのではないでしょうか?そういう意味ではこの資料館は存在意義があると思うし、郷土の歴史を残すという意味でもこの資料館は必要なのではないかと思います。

というより、これだけ大きな基地のあった街なのに、今までこういう施設がなかった事自体が不思議でなりません。


■大刀洗大空襲

そして、最後に第二次大戦の時の展示です。特攻隊や大刀洗大空襲などのことが展示してありました。


大刀洗も終戦直前はアメリカ軍の空襲を受けた土地です、当時の日本の航空軍事拠点である大刀洗を敵国であるアメリカが見逃すはずありません。

昭和20年3月27日、B29の大編成74機が大刀洗飛行場を襲いました。この時、頓田の森に避難していた児童の中で1発の爆弾が爆発しました。たった1発の爆弾で31名の幼い命が失わててしまいました。それは「頓田の森の悲劇」として大きく取り上げられていました。この空襲では1000人もの方が亡くなったとされています。


また同31日、4月18日にも空襲がおこなわれ、4月18日の空襲では山本三男三郎少尉が二式複座戦闘機「屠龍」でB29に体当たりをして1機を撃墜しています。

特攻ではなかったので、少尉は脱出してはいますが、敵護衛機の掃射を受け、負傷し、病院に運ばれましたが、残念ながら命を落とされてます。

また記念館の天井にはBー29の実物大のモニュメントが吊るされてあり、展示場を見下ろせる2階部分には屠龍の大きさを表したカーペットが敷いてあって大きさを比較することができるようになっています。


順路の最後には、この空襲で亡くなった人たちや、特攻などで戦死した人たちの遺影と名前が展示してあるのですけど、そこにこの落とされたBー29の乗組員11名の名前もあります。このB−29の戦死者には女性通信兵と少年兵も含まれてました。


そして、大刀洗飛行場と特攻隊の展示もされてました。この大刀洗飛行場で訓練を受けたパイロットが全国の基地に配属され、特攻作戦に参加して、知覧や目達原などの基地から作戦に参加しました。

また大刀洗から直接特攻に出撃した事例もありました。


■大刀洗と特攻隊


展示で紹介してあったのは「さくら爆弾機」という特攻兵器でした。さくら爆弾機というのは四式重爆撃機に爆弾を搭載した兵器の名前です。爆弾が非常に重いため、操縦が難しい兵器だったそうです。

大刀洗から沖縄戦に投入されたらしいですが戦果は不明だそうです。当時は僚機を見失ったりすることもあって、消息や戦果を確認できないなんてこともめずらしくはなかったそうです。

僚機を見失って、場所がわからなくなり、帰還した為生き残った乗組員の方のインタビューが放映されてました。


最後に、戦死していった方々の手紙や遺書のコーナーがありました。手紙遺書と、戦死者の名前と遺影の展示は戦争記念館ではもう定番になってますね。何度見ても、いたたまれない気持ちになるものです。

あと、錆び錆びの戦闘機が置かれていますが、それが博多湾のアイランドシティ建設の時に引き上げられた97式戦闘機らしいです。世界で現存する機体はそれ1機だけとのこと。


■特別展


そして、特別展として、戦前の女性のファッションについての展示がされてました。こちらもある意味興味深かったです。明治大正の文化が好きな人にはたまらないと思います。資料に写真とか撮れたらよかったんですが…。

2階でやっていたせいか、人が誰もいなかったのが寂しかったですけど。館内は吹き抜けなので2階は1階の半分以下のスペースしかない上、特に順路でもないので、2階に上がってまで見ようと思う人は少ないのかもしれません。


■解説動画の上映


あと、30分毎くらいに映画の上映があります。これもこういった戦争記念館では定番といえば定番なのですが、画像がけっこう新しい感じでしたね。

先にあげた頓田の森の悲劇は紙芝居風のアニメで案内されていたんですけど、絵がなんていうか現代風?萌絵とまではいきませんが、こういった公共の資料館でやる動画にしては、最近っぽい絵でしたね。

内容は空襲の話と特攻隊の話でした。ひいおばあちゃんが孫に話しているといった設定でストーリーが進みます。戦前の大刀洗飛行場があった頃の話から始まって、生き残った友人から聞いた頓田の森の悲劇の話、そして特攻に行った兄の話と続きます。けっこう目頭が熱くなる感じでした。


■大刀洗平和記念館の総評


館内をゆっくり回って2時間くらいかな…。展示内容的にはそこそこといった印象でした。大和ミュージアムよりは小さいですけど、回天記念館よりは見ごたえはありました。近場でこういう資料館があるのは貴重かもしてません。

内容的には特攻隊がクローズアップされてると思いましたが、特攻に関してはけっこう抑え目。空襲の方が印象深かったですね。大刀洗の歴史資料館的意味合いの深い印象ですね。

どちらかというと特攻をテーマにした回天記念館よりは、呉と海軍の歴史の紹介も多かった大和ミュージアムっぽい印象を受けました。

歴史に興味がある人や飛行機好き、兵器好きな人、あと郷土史に興味にあるひとは行ってみることをお薦めです。場所もわかりやすいし、キリンビール工場の見学とセットで行ってみるのもいいかもしれません。


■北滑走路跡に寄ってみた


あと、帰りに北滑走路の跡の道路に寄って帰りました。ここは久留米に行く時によく裏道として利用してたんですよ。冷水峠の途中から夜須高原に抜けて、筑紫野に降り、筑前小郡インターに抜ける道があるんですが、そこを走る時によく通ってました。

大刀洗飛行場 北滑走路跡の道路

大刀洗飛行場北滑走路跡の道路



※北滑走路の場所。表示場所の一本の直線道路とその北側の1本の計2本の直線道路が北滑走路跡です。

いつも不自然に道がまっすぐに伸びてるなーって昔から思っていたんですよね。滑走路と聞いて「なるほど納得」って思ったものです。

【参考】
■大刀洗平和記念館サイト
http://tachiarai-heiwa.jp/
■大きな写真をみたい人はこちら(私のフォト蔵のページ)
http://photozou.jp/photo/list/266481/1048151



炎を越えて―大刀洗飛行場秘話炎を越えて―大刀洗飛行場秘話

海鳥社 2004-04
売り上げランキング : 452810

Amazonで詳しく見る
by G-Tools



このエントリーをはてなブックマークに追加