以前、佐世保の東山海軍墓地に行った時、「軍艦千歳の記念碑は久留米市水天宮境内にあります」と書いてあるのを見かけて、一度行ってみないといけんねーと思ってました。

水天宮の千歳碑 (15)
東山海軍墓地にある軍艦千歳記念碑の案内碑。


それでこの間の土曜日、4月18日に電車で行ってきました。そのときのレポートを書いていこうと思います。

水天宮の千歳碑 (16)
天道駅から電車に乗り、桂川で原田線に乗り換え、原田から鹿児島本線で久留米まで。JRで久留米に行ったのは初めてです。水天宮は西鉄久留米よりJRほうが近いですよ。

水天宮の千歳碑 (4)
JRの久留米駅ではじめて下車します。駅舎は新しいですね。5年前に駅舎は建て替えられたようです。写真はいわゆる「西口」ですが「水天宮口」という名前になってます。水天宮に行くときはわかりやすいですね。

水天宮の千歳碑 (17)
久留米駅西口の階段のところにあるステンドグラス。久留米駅はステンドグラスの装飾が多用されています。

水天宮の千歳碑 (18)
水天宮に着きました。駅から水天宮は徒歩で10分くらい。西方向に筑後川手前まで歩くと着きます。ちなみに水天宮に来たのも今回が初めてです。看板にあるように、この久留米の水天宮は全国にある水天宮の総本宮です。こう見ると、意外と福岡やその周辺には神社の神社の総本宮って多いですね。太宰府(天満宮)や宇佐(八幡宮)、宗像大社とかとか…。

水天宮は天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院、平徳子)、二位の尼(平時子)を祀る神社であります。

水天宮の千歳碑 (5)
水天宮の入り口ではマッチョな狛犬さまがお出迎えしてくれます。

水天宮の千歳碑 (6)
神社の境内に入ってすぐ、右手奥に軍艦千歳の慰霊碑があります。けっこう大きいのですぐに見つけられると思います。

水天宮の千歳碑 (7)
水天宮の千歳碑 (8)
水天宮の千歳碑 (9)
軍艦千歳慰霊碑。「航空母艦」ではなく「軍艦」となってないのは、建造当初はロンドン海軍軍縮条約のため空母の保有数に成約があり、水上機母艦兼高速給油艦として建造された経歴があるからなのかと思われます。ちなみに進水日は1936年11月29日。

水天宮の千歳碑 (10)
「軍艦千歳郷土会に就いて」の看板。千歳さん、地元に愛されていたのですね。千歳と聞くと北海道の千歳を思い浮かべますが、筑後川の昔の名前だったのですね。なので、艦内神社も筑後川流域のこの水天宮と高良神社から分祀を受けました。

余談ですが筑後川が名前の由来になった艦娘モデルとしては重巡洋艦「三隈」があります。大分県日田市付近の筑後川を三隈川と呼ばれているところから名付けられました。艦内神社は日田市にある大原八幡宮です。一度艦内神社巡りとして行ってみたのですが、慰霊碑などの重巡「三隈」に関わるものは見当たりませんでした。

大原八幡宮 (1)
重巡洋艦「三隈」の艦内神社を分祀した大原八幡宮。

大原八幡宮 (2)
大原八幡宮に「三隈」の慰霊碑、記念碑等は見当たりませんでしたが、日本軍関連のしてはこの小倉造兵廠本部終焉の地の碑がありました。

水天宮の千歳碑 (12)
話を水天宮の軍艦千歳慰霊碑に戻します。

水天宮の千歳碑 (11)
航空戦艦千歳のレリーフ像。水上機母艦千歳は終戦の2年前、1943年(昭和18年)に航空母艦に改装されました。建造時も後ほど航空母艦に改装するつもりで設計されたと言われています。

水天宮の千歳碑 (19)
レリーフの裏にあった解説。レイテ沖海戦時に昭和19年10月25日、フィリピンのエンガノ岬沖で米空母艦載機の集中攻撃を受けて轟沈しました。

水天宮の千歳碑 (13)
慰霊碑の裏には千歳の略歴が書いてありました。

最後に水天宮の境内の様子を少しだけ。

水天宮の千歳碑 (1)
水天宮の境内にあった真木和泉守の像。真木和泉守(真木保臣)は幕末の志士で吉田松陰を失った後の尊皇攘夷派を先達として指導した人物とのこと。久留米藩士で水天宮の祠官でもありました。

水天宮の千歳碑 (2)
「山梔窩(くちなしのや)」真木和泉守が藩政改革の失敗で謫居させられていた家。ここで地元の青年たちを集めて教育したと言われています。吉田松陰の松下村塾みたいなものではないかと思われます。

水天宮の千歳碑 (14)
水天宮の池と楼門。神社としては知名度の割にはこじんまりとした印象を受けました。この後参拝しておみくじをひいて帰りました。おみくじは「小吉」だったのですが、見事にこの後雨に祟られました…。出発するときはめっちゃ晴れていたんですけどね。

水天宮の千歳碑 (3)
水天宮のすぐ裏手は筑後川河川敷です。上でも述べたように「千歳」の名前の由来になった川です。ちなみに筑後川は九州で最長最大の川になり、源流は阿蘇の瀬の本高原にあります。


そういうわけで、意外にも航空母艦「千歳」は僕の地元にゆかりのある貴重な軍艦、艦娘だったのですね。ゆかりの地が近場にある艦娘は、「三隈」といい、この「千歳」といい、一瞬わかりにくい感じなのが面白いです。




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