先日新設された艦これのサーバーの名前が「佐伯湾泊地サーバー」だったので、え?佐伯って海軍基地かなにかあったの?って思ったのがきっかけでした。

今まで艦これサーバー(鎮守府)名として九州にある地名が使われてるのは佐世保だけだったのですが、佐伯の地名が新設サーバー名に出てきたので意外に思いました。

九州の海軍基地としては宇佐や鹿屋を思い浮かべましたが、それらは航空隊でしたから、軍港としては佐伯ってことになるんでしょうかねえ?佐伯が元軍港だとは今回の件があるまで全然知りませんでした。

そんなわけで、昨日、佐伯湾泊地に何かあるかな?って思って足を運んでみました。今回のエントリーではその模様をレポートしていきたいと思います。


佐伯は大分県南東部に位置する市で、南側は宮崎県と接し、豊後水道を挟んで東に四国を望める場所にあります。僕の住む飯塚からは車で約4時間ほど。早朝4時半に出て、途中仮眠を入れて、到着が9時すぎでした。

時間が早かったので先に鶴見半島にある丹賀砲台へ行って戻ってきました。(※丹賀砲台のレポートはまた別エントリーで紹介します)

佐伯市街に戻ってきたのが12時すぎ。まずは史料館で基本的なことをお勉強です。

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佐伯市平和祈念館やわらぎ。海軍航空隊兵舎跡に立てられてます。

かつて、佐伯には佐伯海軍防空隊や佐伯防備隊などがあり、真珠湾攻撃のときには佐伯に赤城が入港し、単冠湾に向かった出撃地にもなりました。

この地が海軍基地に選ばれたのは、地理的に太平洋から瀬戸内海へ続く海の要衝である豊後水道の警備や、太平洋へ出撃する艦隊の補給基地の設置に佐伯湾が最適だったからでしょう。

佐伯航空隊には大戦中、シーレーン防衛専門の第931航空隊が開隊されます。輸送船団を護衛する空母「大鷹」「雲鷹」「海鷹」「神鷹」に便乗して前路哨戒、対潜掃討を担いました。「龍鳳」さんや「あきつ丸」さんの護衛にもあたっています。ちなみにあきつ丸の時は哨戒の隙を突かれてあきつ丸を含む輸送船2隻を沈められてしまいました。

護衛する船団を失い船団随伴護衛任務が無くなった後は、陸上基地防空隊として対潜掃討作戦に従事しました。末期には数少ない艦上攻撃機部隊ということで特攻には参加せず通常攻撃の部隊として戦いました。

「艦これ」では「天山(九三一空)」や「九七式艦攻(九三一空)」がありますね。

これらの艦攻はランカー褒賞での配信なのでけっこうレアかも。九七式艦攻のほうは龍鳳を改装すると1つ手に入れることができるそうです。これは上に書いた龍鳳護衛の史実があるからでしょうね。


また、佐伯防備隊には特殊潜航艇「海龍」が12隻配備されました。「海龍」は本土決戦用の特攻兵器として開発され200隻ほどが製造されましたが、実戦に投入されませんでした。「海龍」は呉の大和ミュージアムや江田島の第1技術学校なのでその姿を見ることができます。

佐伯航空隊は大和の特攻で有名な天号作戦では出撃に備えて前路哨戒、対潜掃討を行っています。

終戦の年(昭和20年)になってからは6度の空襲を受け、基地や市民に多くの被害が出ています。最後の空襲は終戦の前日、8月14日に行われて4名が死亡しています。

あと、展示品としては霧島さんの艦内新聞とかありましたね。


ちなみに祈念館は入館料300円。開館時間は9時から17時まで。休館日は月曜日と年末年始(12月29日〜1月3日)です。無料駐車場あり。徒歩の場合、佐伯駅からは少し距離があるけど歩けない距離ではないと思います。東方向へ388号線を歩けば行けます。

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祈念館の敷地内にある記念碑関連をご紹介します。

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左から「真珠湾攻撃に応戦した退役軍人たちと佐伯市民との今後の友好を祈る」碑。

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練習艦「あさぐも」の主錨。

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真珠湾攻撃発進之地の碑。

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祈念館の横は公園になってます。

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祈念館の前は佐伯重工業があります。

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祈念館のお隣が旧航空隊指令部跡地で現在は海上自衛隊佐伯基地分遣隊です。近年まで建物が残ってましたが残念ながら老朽化に伴い建て替えられました。敷地内には記念碑が残されています。敷地内は立入禁止なので門の前から見ましょう。

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中江川を渡って飛行場があった場所に行ってみます。

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施設の廃墟を発見。佐伯航空隊基地跡は興人佐伯工場の敷地内となっています。

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正門からは掩体壕跡が見えます。

せっかくここまで来たから近くでみたいですよね?

心配ご無用、受付に申しこめば見学させてくれます。門の横にある守衛室で住所と氏名電話番号を記帳すれば見学を許可していただけます。案内の紙までいただけます。守衛さんの指示に従って見学しましょう。

まずは掩体壕から。

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掩体壕その1。門から入って手前にある掩体壕。こちらの掩体壕は国の登録有形文化財に指定されています。掩体壕とは敵の攻撃などから装備や物資、人員を守るものを言います。ここにあるのは戦闘機を守るものなので飛行機の形をしています。零戦や飛燕戦闘機を格納したものと言われています。

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興人佐伯工場設置による解説看板。

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登録有形文化財のパネルが見えます。

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宇佐などで見た掩体壕とほぼ変わりませんね。

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裏側はこんな感じ。宇佐の掩体壕は土や草で隠されてましたが、こちらはむき出しなのですね。当時はカモフラージュさせてたとは思われますが。

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こちらがつ奥にあるもうひとつの掩体壕。こちらは物置として利用されてました。余所の掩体壕も物置になってるところ多いですよね。

一旦、門の前に戻って、今度は反対側にあった建物に行きます。

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こちらは指揮所跡なのだそうです。航空基地の指揮所もっと大きな建物を想像してたのですが、意外と小さいですね。

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廃墟マニアにもたまらない物件なのではと思います。

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手前の突き出た部分の内部。床が落ちてるので足を踏み入れるのはためらわれました。

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奥の部分の室内。

あまり建物の残ってない海軍佐伯航空隊の戦跡の中では貴重な物件なのではないでしょうか。崩壊が進んでますが、できればこの先も残っていってほしいものです。

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中江川を渡って戻り、今度は長島山の戦跡を見て行きましょう。

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丹賀砲台園地に行く時に国道から見えたトンネルの跡に接近してみます。

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5つほど確認できました。これは弾薬庫跡なのだそうです。長島山の中江川側に見ることが出来ます。

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こちらは祈念館側にあった穴。いくつかこういった穴を見つけることが出来ました。防空壕か弾薬庫への通路ってところでしょうか?

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今度は長島山の北西にある濃霞山(のうかやま)の戦跡を見て行きましょう。

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民家の裏手にトンネルなどを見ることができました。

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日本文理大学付属高校のグラウンドの隅にもトンネル入り口を見ることができます。

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そして佐伯航空隊の正門跡を日本文理大学付属高校の国道沿いの壁に見ることができます。

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門ということは一対になってるのでもう一つが反対側にあるはずと探してみると、民家の壁にありました。

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この2本が正門の柱だったのですね。門はこのようにけっこう道幅が広かった模様。

以上、佐伯湾泊地レポートでした。

艦これのおかげで、隣県にある佐伯の歴史を知ることができました。北部九州にもいろいろと旧日本軍の基地があったのですね。旧日本軍の航空基地というと大刀洗(陸軍)くらいしか知らなかった僕ですが、宇佐(海軍)、佐伯(海軍)、芦屋(陸軍)などがあったことを艦これのおかげて知ることが出来ました。

今まで佐伯というと大分南東部の中心都市、四国へのフェリーが出てる場所、佐伯、延岡間が18キッパーの難所(笑)というくらいしかイメージなかったのですが、元軍港というイメージが新たに追加されました。

ちなみに佐伯の読み方は「さき」ではなく「さき」です。最近までずっとさえきと読んでました。


さて、佐伯湾泊地レポートはこれで終わりではなく、番外編として佐伯市の東部にある鶴見半島にある丹賀砲台のレポートへと続きます。


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宮本 道治
新人物往来社
1988-09-08